「長文を書けない理由について」という題にしたかったのですが、短文も書けていないので「文章」という書き方にしました。
書けない原因を探りたいです。
原因がわかれば対策を立てることができます。
まず、私がどういう風に二次創作小説を書こうとしているかを時系列順に書いてみます。
私の二次創作小説の書き方(書けない)
- 二人が〇〇(特定の場所)で会話(2往復程度)をしている様子が思い浮かび「はぁ~とても良いな」と思う
- その場面を書けたらいいなと思う
- 小説を書く際にはプロットがあった方がうまくいくらしいので、プロットを考えようと思う
- ①で思いついた場面を違和感なく書くための設定を考える ←ここらへんまでは楽しい
- それで、結末(オチ)はどうしよう ←何も思いつかない
- そもそもこの小説は何が言いたいのか、それが分かれば結末もわかるのではないか ←何も言いたいことなどない
- どうしたら良いのかわからなくなる
- もうダメだ何も思いつかないという気分になる
- このまま書けないと落ち込んでいても何も進まないので、とりあえず思いついている場面を書いてみようとノートを開きペンを出す ←すごいえらい
- 書いてみるがとても短い ←頑張った
- これじゃあどうにもならないと思う ←ここで断念すること多し
- やはりプロットと結末が必要だ
- もう一度、結末を考えてみようと悩む ←無限に時間がかかる
- どうにもならないが、別の場面は思いついたりする
- その場面をつけ足してみる or その場面と⑩で書いた場面をうまく繋げることができずに苦労する
- 結末はわからないまま、小説も出来上がらない ←悲しい気持ち
こんな感じです。
書いてみてわかりましたが、④までは楽しい様子です。楽しい部分あるのじゃないの。
問題は⑤以降だ。結末だ。
なのでここからは、結末が思いつかないことの対策について考えていこうと思います。
結末について
以前から結末を考えることに苦手意識を持っていたので、ここ最近、映画や小説の結末(オチ)をメモするようにしています。それで少しわかってきたことがあるのですが、みんな意外と結末が強引だったりします。
←強引さを意外に感じるということは、私は結末に完璧を求めすぎているのではないか。完璧を求めるあまり思考停止状態になり、何も思いつかないとなるのではないか。
←そもそも脳内の結末のストックが少なすぎるのではないか。
そして、もう一つ分かってきたことがあります。結末があって、それからオチがある場合があることです。
(例)映画「愚行録」の場合
結末:主人公が人を殺す
オチ:弁護士(視聴者)が主人公の妹の子供の父親を知る
wikiで「落ち」を調べると「物語の結末のこと」って書いてあるし、今までは結末とオチは同じものだと思っていたのですが、最近は別物かもしれないと思っています。しかし、私が結末だと思ったものは結末ではなく、オチだと思ったものが結末であるという風にも考えられるので、よくわかりません。
←調べたら良い。
そこで、シド・フィールドの脚本術のエンディングについての章を読んでみたのですが、
オチとは、ストーリーを終局させる解決のことである。
と書いてあります。これはつまり結末のことですよね。
他にも「結末」と「オチ」と「エンディング」という単語を使って色々書いてあるけれど、使い分けがよくわかりません。全て同じ意味で使ってるような気がします。
グーグル検索で「結末 オチ 違い」で調べても、別物だという内容は見つけられませんでした。結末とオチは同じものなのかもしれません。
つまり、私が結末の後にオチがあると思ったものは、オチが結末なのかもしれません。それか二段オチ?難しい。よくわからないです。
←話が逸れているよ。結末とオチが同じかどうかは、今、別にどうでも良いよ。結末をスッと思いつくための対策を考えて。
←しかし、結末とは一体なんなのか、オチとはいったいどういうものなのかが理解できればもう少し書きやすくなるのではないか。
←調べてすぐわかるという風にはならなそうなので、保留で。
本筋に戻り、対策を考えます。
- 引き続き、結末メモを書き留め、結末のストックを増やす
- できたら1日に2結末くらいはメモしたい
- 暇なときは結末メモを充実させる
- 多少強引でも辻褄が合わなくても良いので無理やり終わらせるという方法を身に着ける
- ストーリーの作り方的な本を読み、結末についてどのようにすべきか学ぶ
- オチと結末の違いについては、また今度考えてみる
これを書いていたら、結末なんて何でも良いのではという気持ちになってきました。書こうとしていたやつの結末、いきなり次の日とかにして適当に終わらせる作戦でいこうと思います。