淡々と

ストレスをためない

作者の人格と作品について

作者や演者と、その作品は別物。

わかるんですけど、その作品を認めることはやっぱり作者や演者を認めることにもなってしまうのではないかと思うんですよ。

そんなことないのかな。考え方なのかな。

浮気や不倫とか大麻とか、私判定で許せるラインなら、作品を肯定できるんですけど。

例えば快楽殺人とか性犯罪とか、私がその罪を犯した人間を認めたくない場合、その作品を認められないんですよね。感情の部分で。

作者や演者と作品を切り離して考えるのが難しい。

 

ああ、でもわかんないな。

作品がとても好きだったら切り離して考えたくなるのかな。

犯罪者がそれを作ったと知らない状態で作品を鑑賞して、その作品を好きになり、後から作者のことを知ったら、作品と作者は別だよ切り離して考えてよって思うかもしれない。

でも、作者を知っていた場合。

例えば、ヒトラーの絵画を鑑賞するときに、私はヒトラーが描いたということを考えずにその絵を見ることはできない気がする。

 

うーん。

やっぱり、私個人としては、作者と作品を切り離して考えるのは難しいかもしれない。

頑張れば切り離して評価することはできるけど、その作品が素晴らしかったとしても、素直に「好き」とは言えないような気がする。

「私が好きな感じの作品ではある」みたいな評価をするかもしれない。

私は、私が好きな人間の作った作品を好きになりたいです。

自分が嫌悪している人間の利益になるような行動は取りたくない。

 

私が、作品ありきじゃなくて、人ありきで作品を視聴しているからかもしれません。

それはそれとして、出演者の不祥事(大麻とか)で作品がお蔵入りするのは、非常に悲しいし悔しいです。