書けていない。1日目にして、書けていない。
この3連休、やってやるぜ! って思ってたのに、春にして君を想う(小沢健二)
あっという間に時が過ぎる。
ほげーボエー。実際さ、やる気が足りてないのよ。時間はあったんだから。
今、ここで言い訳やら何やらを書くより、創作物を書こう。
私は小説を書きたい。自己暗示。自己暗示大事。
書こうとしてる話、土曜日の午前中の話だったんですが、原作の時代、土曜日にも高校の授業があったのではと、今気づいたところ。目をつぶろう。
なんのために書いているかというと、書きたい気がするから。
書きたい気がしてるなら書けるはず。いける、いける、できるよー。
書きたいこと書いてこう。怯むな。躊躇するな。呼吸とともに脳内にあるぼんやりとした映像を文章として吐き出せ。スゥーーって気功のように。
会話は思いつかないけど。なんて言うかわかんないのよ。いや、何も言わない気がするのよ。多分、表情で全部伝わる、表情を映せばいいだけの場面なのよ。その表情から視聴者は全てを想像する。私はその表情を描写すればいいのかもしれない。
なぜ映像作品があるかと言うと、文章表現には限界があるからだと思うんですよ。いくら説明したところで、その表情は伝わならい。
表情は伝わらないけど、勝手に想像してもらうことはできる。イメージを作るヒントみたいなのを説明すれば、読んだ人が良いように想像してくれる。
私は難しいことを書こうとするのではなく、簡単に説明すればいい。読んだ人が脳内に映像を作れるように。できる。できる。
できるよー書いてくるわ
24時すぎたけど書けなーーーーい
時間の無駄なのでは。書かないのに書こうとするの、時間の無駄なのでは。
主人公に嫉妬の感情がある場面を書きたいんだけど、 主人公はその感情を理解していないし、登場人物の誰も、そこに嫉妬があることに気づいていないんですよ。あからさまなセリフは書きたくない。イラつかせたりとかもしたくない。
早口で喋らせたけど、この早口が嫉妬をごまかそうとしている行動であると読者に伝わる気がしない。注釈つけて「*この早口は、嫉妬の感情が存在するということを隠そうとしている自分に対しての動揺が現れたものです」って書かないと伝わらない気がする。注釈の文章わかりにくいな。